デザイナーになるまで(1)

自分の肩書きをどう名乗るべきなのか、15年ほどずっと悩み続けています。
今回はなぜ自分がこの仕事で生計を立てるようになったのか、経緯を振り返ってみようと思います。興味のある人はあまりいないかもしれませんが、書いてみるとそれなりなエピソードにはなるかなと。
私の仕事の多くは、Webサイトをつくったり、ロゴマークをつくったり、取材して原稿を書いたり、企業や商品のブランドコンセプトを考えたりすることです。
上記の内容は、基本的に「誰かから依頼があることが前提」の仕事ですが、それ以外に、自社のサービス開発もやっています。個人事業主や小規模の会社向けに考案したWeb作成ツールの「とりあえずHP」や、ミュージシャン向けのWebサービス「Music Scene.」などは、自分たち主導で「こんなのあったら喜ばれるんじゃない?」という発想からサービス化したものです。

ほとんどの仕事は、インターネットやWeb制作にまつわることなので、当初は「Webデザイナー」ということにしておりましたが、やっている仕事の具体的作業としては、Webサイトのデザインだけではなくなっており、ここ3年くらいはどうもしっくりこない感じがしていました。
かといって、「コンサルタント」はどうも実態性に欠くようなイメージがあって嫌だし、「プロデューサー」は高みの見物っぽいお偉いさんを想起されそうで。もちろん優秀で素晴らしい活動をされているコンサルタントやプロデューサーももちろんたくさんいらっしゃると思うのですが、まあ、全体感として。

ということもあり、やっぱり自分は「ものづくり」が好きだし、常にクリエイティブな仕事をしていたいと思っているから、結局は「デザイナー」が一番近いのだろう、と思っています。
今現在は、仮で「ブランドデザイナー」ということで、実験検証中です。
しれっと肩書きがまた変わるかもしれませんが、そっとしておいてください(笑)。

私がこのような仕事をするに至っているのは、自分でも不思議な縁によるものです。
そもそも、自分が子供の頃、「Webデザイナー」という職業はありませんでした。当然ですが、インターネットがまだなかったので。
将来何になりたいかという、大人から突きつけられる避けて通れない哲学的な問いかけに、「釣り人になって流浪する」と書いたのは小6の時。
この夢はまだ叶っていませんが、実現の可能性は残されているのではないかと考えています。40代を迎えて、子供の頃の夢が叶っていない場合、通常はもうほぼその夢は叶わなかったということになると思いますが、私の場合はその夢を諦めなくて済んでいます。小6の自分に感謝です。

ところが中学生になった頃、音楽というものに出会います。運動部は強制ボウズ、という謎のシステムに反発し、髪を切りたくないからという理由で吹奏楽部に入ったことを機に、楽器を演奏する面白さに目覚めました。それまで飽きっぽかった自分が、中学〜高校と6年、トロンボーンを演奏しつづけ、その間にクラシックやビッグバンド・ジャズの王道をたくさん吸収したのは、その後の人生に大きな揺さぶりをかけることとなりました。
そもそも物心ついたときから始めた音楽だったので、ピアノなどは当然家にもなければ、弾くこともできませんでしたので、音大進学〜クラシック演奏家への道はその時点であっさりとナシ。
しかしながら、音楽の面白さは日に日に増していく一方。聴く音楽も徐々に海外のロックに移り始め、友だちの影響もあって60〜70年代のロック、当時の王道だったガンズとかMr BIGとか、その後はやっぱり世代的にどっぷりとニルヴァーナ。高校3年の頃には、友だちとバンドも組んだりして。3コードと8ビートでできる洋楽というコンセプト(笑)でラモーンズのコピーとかやってましたが。
そんなこんなで、すっかり釣りのことは忘れたまま、将来のことはさておき、「とりあえず大学に行って、バンドをしよう」ということにしたのでした。

大学に入学した頃は、90年代の前半、ちょうど渋谷系が盛り上がっていた頃で、渋谷のHMVとか、ZESTに顔を出しては、CD・レコードを漁るという日々。ZESTでは、当時カジヒデキさんが普通に店員をされていて、CD・レコード店は新しい文化の発信という役目を一身に担っていたという、そんないい時代。
イギリスでは、ブリットポップというシーンが同時に盛り上がっていて、フジテレビ系の深夜に英米のインディーズシーンを扱った「BEAT UK」という番組があって、字幕も何もなく、全部英語で放映されていたのだけど、その情報は感度抜群な10代後半〜20代前半のぼくたちには、大変貴重なものでした。

たしかそのBEAT UKではじめて知った気がしますが、Creation Recordsからリリースしていたグラスゴーのバンド「Teenage Fanclub」の脱力しつつもパンキッシュで、メロディーがキュンキュンくるバンドに、心は全て持って行かれました。
「こんなバンドをやりたい!」という仲間が奇跡的に、明治大学の理工学部に集まっていて、気持ちだけは完全にTeenage Fanclub、という4人組バンドを結成したのです。

IMG_0577
Teenage Fanclubのブート盤。“NOT FOR SALE”とある。イギリスのレコード会社の販促用サンプルと思われる。こんなレコードを置く店が渋谷や新宿には当時かなりあった。

  

まあ、演奏力にかなり問題があり(笑)、そのバンド自体は大学卒業後に、なんとなく自然解散という、よくあるパターンで終了したのですが。それでも、まだオープンしたての下北沢ガレージとかでライブしていて、今思えば、音楽的に少し早かったのかもな、と。全曲英語の歌詞で、思いっきりギターフィードバックさせて、ポップなメロディーを歌うというスタイルは、下北でもそんなに多くなかった気がします。その後に出てきたアジカンとか聴いた時は、「5年位前にそういうのやってたけどなぁ」と勝手に思いましたが。すみません、生意気言いました。

そんなこんなで、大学時代を過ごし、いよいよモラトリアム期間の猶予がなくなりまして、まあ、就職活動というやつです。
私の時代は、ちょうどバブル崩壊の直後で、はじめの就職氷河期世代でもありました。
この頃になると、さすがに大学まで出してもらった親の手前もあり、釣り人で流浪、というわけにはいかず、やっぱり音楽が好きだし、そういうのに関係する仕事をということで、なんとかかんとか内定をもらったのが、銀座にある山野楽器という会社でした。
大学時代は、一応、理工学部で数学を学んだので、普通は技術系の進路が多いのですが、まあこの時点ですでに変わり者ではありました。

・・・とここまで書いてみたのですが、まったくデザインのことは出てきていません(笑)。バンドのフライヤーとか、デモテープのジャケットとか、その程度のデザインはやっていたとは思いますが。実は、大学卒業時点でも、デザイナーになるということは、自分でも想像できなかったことでした。

長くなったので、次回に続きます。

デザイナーになるまで(2)

2015-10-11 | Posted in 散文のようなものComments Closed 

関連記事