銀座

昨年晩秋から、銀座に本社がある企業の80周年に向けたリブランディングの仕事を請けていて、ここ最近は週1回くらいのペースで銀座に行っている。私にとって、銀座はTHE東京、というイメージ。横浜で生まれ育ったので、一番近い東京の街というなら、東横線で一本の渋谷なのだけど、銀座はもっと特別な背伸びした感じの東京。横浜出身です、というと「都会っ子ですねぇー」などと言われることが多いのだが、これはなんとなく東京ではない近隣県の人なら多少分かってもらえるのではないかと思うけど、東京と隣接県とは、電車ですぐだったとしても、心理的な距離はそこそこあって、それなりな東京コンプレックスも持ち合わせていたりする。だから東京も横浜も都会っ子、という括りについては、いやいやそうでもないですよ、やっぱり東京のすごさには圧倒されたりしますよ、と。

あと、隣接県の難しいところは、通えてしまうこと。渋谷も新宿も銀座も通えてしまうから、上京するため実家を離れます、という口実が機能せず、進学や就職という人生の大きなマイルストーンを、だらっとやり過ごしてしまう可能性が高い。実際、私自身も大学は実家から通っていたし、社会人になってもしばらくは、横浜の実家から通勤していた。夏休みや年末年始に「帰省する」という友人がうらやましく、田舎へ帰るという行為そのものに、憧れさえ抱いている。私には帰る場所というものが、なんとなくないような気がしていて、そんな感覚も、東京の隣接地出身の独特なものではないか、と思う。さらに、2年ほど前に横浜の実家はなくなり、父も母もそれぞれ東京でのマンション暮らしとなったので、本当に横浜に帰る理由もなくなった。

話は戻るが、銀座は、私にとってのTHE東京だ。
はじめて来たのは、中学生の頃だったと思う。当時は吹奏楽部に所属していて、どうしても演奏会でやりたい曲があって、その楽譜が銀座のYAMAHAにあるというので、電話で取り置きをお願いして向かったと記憶している。細長いビル群、鈍色の街並み、和光の時計など、横浜にはない東京の迫力、畏怖に近いものを感じた。これが東京なのか、と。そして、20代の前半、社会人一年生となった私の勤務地も銀座だった。貧乏な若者にとってランチを食べる場所を探すことさえ難しかった銀座は、苦しんだ青春の残像とともに、畏怖の東京として、強く記憶に刻まれている。

あれから20年近く経って、今、銀座の老舗の企業のデザインの仕事で呼んでいただいている。少しは近づいたのだろうか。いや、やはり銀座はあの頃と何も変わらない、私にとっての、近くて遠い東京そのものなのかもしれない。

2018-01-23 | Posted in 散文のようなものComments Closed 

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