2020年5月7日以降の、私たちのくらし

こんな世の中になることを予想した人はいないだろうけど、いつでも世界は人生はどう転がるのかは誰にもわからない、ということで言えば、当然こういうこともあるのだろう。

前回このブログで、横須賀市鴨居のアトリエの話を書いたのが、2019年4月30日。よって、すっかりご無沙汰してしまったブログはちょうど一年ぶりの投稿となる。あの海に浮かんでいた船はダイヤモンド・プリンセス号だったかもしれないと思うと皮肉なものだ。

さて、この新型コロナウイルス。いわゆるパンデミック、まるで映画の世界でみたようなことが現実に起こっている。3月上旬から徐々に世の中が慌ただしくなり、自粛の動きから、もうすぐ2ヶ月が経過するところだが、私の経営している会社、株式会社それからデザインは、幸いにもITサービスの開発運営がメインであり、日頃からリモートワークの環境は整えていたので、全社員さほど不便なく、自宅勤務で仕事を継続できている。

とはいうものの、私個人の仕事として、ブランディングや事業開発に関するコンサルティングを担当しているお客様の状況は様々だ。アパレル関係や宿泊業など、非常に逼迫した経営状況と直面している企業もある。私は外部契約の専門員として、ブランディングや広報をマネジメントする立場でもあり、緊急対応的なIT活用および広報の方針について、何社かに対してアドバイスをお送りしている。

一方で、いまのところ顕著な影響が出ていないのは、建築・不動産関連、製造業あたり。IT関係はやはり強く、リモートワーク導入などを急ぐ企業からの特需も発生しているようだ。ただ、このあたりの業界であっても、経済全体にブレーキがかかってくれば、その影響は順に回ってくることになる。

ピンチはチャンスとはよく言われることだが、この狂騒の中で、様々な価値観や常識が一斉に塗り替えられることになるから、SNSなどを見ていると、起業家や投資家たちは、ニューゲームのはじまりを待っていたかのように、活発な動きを見せているのも窺える。経済の話は、まあ特に私がコメントするようなことでもないので、このあたりで。

さて、緊急事態宣言。ひとまず5月6日までとされているが、その後はどういう方策がなされるのかは、とても興味深い。先日4月6日には、公衆衛生学の権威である尾身茂先生が安倍首相の会見に登場され、専門家の言葉を私たちは固唾を呑んで聞いた。その後も、様々な医療関係の専門家が自身のネットワークで集められた情報と見解を、WEBやSNSを通じて積極的に発信し、各メディアもそのソースを元にニュースづくりをし続けている。

これまで、医療・医学の専門家に、政治家やメディアが意見を伺い、その情報を軸に緊急事態宣言も出されてきた形だが、これが2ヶ月経って、GWを挟み、いよいよ本当の長期戦となると、さて、どういうことが起こってくるのか。

この場は私的なブログなので、いち零細企業の経営者かつデザイナーが、個人的で、あいまいで、直感的で、素人な視点であることをお断りしながら、自分の考えを記してみたい。

まず、人が生きる目的はなにか、あるいは死にたくない理由はなにか。私自身は、この2ヶ月間、そのことをずっと考え続けていた。その中でいまのところ到達した答えは、「死を避けたいのではなく、納得できない死に方を避けたい」ということだった。

いま、自分や自分の大切な家族が、新型ウイルスの罹患により亡くなってしまったら、それはとても納得できないだろう。そしてそれは、ウイルスの存在に対する不納得ではなく、2ヶ月の間にもっと注意することができたのではないかという自分自身への不納得だ。

では、それが1年間、2年間、あるいはそれ以上という期間でのことだとするならどうだろう。いまと同じようにずっと家に閉じこもり続け、いまと同じようにリモートで働き続け、いまと同じように旅行やレジャーも回避し続けることが、「物理的には」できたとして。

人生とは、人の生き様、だ。いつまで生きるか、よりも、いかに生きるか。納得できない人生を続けて死を回避することを、期間の定めなく続けることが人は本当にできるだろうか。

5月7日以降の、私たちのくらしを、少しずつ想像している。ひとつだけ届かない声を上げさせてもらえるとするなら、ぜひ、国の指針を決める力を持っている政治家の先生には、医療・医学の専門家だけではなく、社会学者、心理学者、経済学者、哲学・自然学者、芸術家、スポーツ専門家、経営者などを含め、「人の生き様」についてのプロの視点を加えた議論をしていただきたい。

命あってこその人生ではあるが、肉体が生きていることが、生きていることとイコールとは限らない。

今、横須賀や三浦、湘南あたりには、休日レジャーを求めて移動してきた車が渋滞を巻き起こしているという。それを封鎖する地元との軋轢が、見るに堪えない。人が、肉体が、人の目にはウイルスという存在に化してしまい、互いに攻撃をはじめて、まるで「生」を自ら放棄しまっているようにさえ見える。

私の鴨居のアトリエの周辺も、「こっちには来るな」という、排他的な空気に支配されているそうだ。一年前のあんなに静かで穏やかだった海辺の部屋に、私はいま近づくこともできない。

2020-04-23 | Posted in 散文のようなものComments Closed 

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